70年の歴史の中で、私が関わったことで特に印象深いことは2011年3月に起こった東日本大震災です。
死傷者はなかったものの、神崎大橋が不通となり、神宿の浄水場も壊滅的被害がもたらされました。
その復旧復興への陣頭指揮を執ったのが当時街作り課長であられた椿等町長です。神崎大橋は早期に開通を果たし、浄水場は古原に移設されたものの復旧とみなされ、9割の補助金が得られ、水道料金の値上げをせずに済みました。
そして椿町長の下、「発酵の里神崎」の街作りが一層推進され、その名が全国に轟いています。
神崎町は人口5600人で、県内54市町村で最も少ない自治体ですが、小さくともキラリと輝く町です。その応援団として私も尽力して参ります。








